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母逝く、札幌12泊13日 [札幌、北海道]

穏やかな還暦を迎える予定だったが、

波乱の還暦月となった。

以下、備忘録。

9月2日(月) 早退

 突然、女房が急性胃腸炎で入院、早退して病院に駆けつける。

9月3日(火) 

 女房の入院対応で休む。

 埼玉の入院だと入院時に3万円の預け金をとられるのだが、後日に母が入院した札幌は事後精算で入院時はとられなかった。

 札幌の老人ホームから電話。入所中の母、腫瘍マーカーが異常値なので近々家族同伴での受診が必要とのこと。週明けの受診予約をとる。この時はまだ事態が急変して行くとはまだ誰も思っていなかった。

9月4日(水)

 女房を見舞う。まだ痛そう。すぐ退院しても無理するとまたぶり返すから安静継続に。

9月5日(木) 

 女房、午後に退院。多分、自宅でおとなしくすれば大丈夫だろう。

9月6日(金) 

 早退して女房の退院精算等。

9月7日(土)

 女房は安静に。母は特にかわりなしで食欲もある。

9月8日(日)

  夜に札幌へ前乗りの予定だったが、千葉県等に大被害をもたらした台風15号がヤバイということで、台風直撃前の午後便に早めて羽田から飛ぶ。飛んだあとは欠航してた。

9月9日(月) 

  母をつれて、北海道がんセンターに。激混み。腫瘍マーカーでは部位確定ができないので、疑いの濃い消化器科で検査。

 肺がんとその転移と診断。翌日の呼吸器科受診予約。検査等で5時間。

9月10日(火) 

 母をつれて、呼吸器科へ。朝飯は完食してたので、まだ急変の兆候は見られず。

 肺がん本体は年齢的に治療不可だが、首の転移腫による放射線治療で痛みは改善するとの診断で、13日の入院が決まる。痛み止のモルヒネ点滴。病室の空き事情。

 治療方針は1ヶ月の入院治療、その後はホームに戻るか、緩和ケア専門病院に入院するか、だった。年越しは難しいかなと思ったが、医者も私もその後に急変するとは予想していなかった。

 これで、当初は(月)(火)の2日有給予定だったのに帰れなくなってしまった。

9月11日(水) 

 私、還暦の誕生日。老人ホームで入院待ちの母を見舞う。母の食欲は普通。首が痛いのは続いているみたい。

 独り、誕生日を過ごすなんて、こんなことは30年ぶりだ。

  ここまでは前のブログにかいた。

 夜は銀のさらで出前。

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9月12日(木) 

 母はいつも通り。

(月)から私が来ていることも、がんセンターに行ったことも覚えていない。認知症は新しい記憶をメモリーに書き込めない。

 昼飯はホームから徒歩圏にある「かつ徳」

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 夜中に北見から弟が到着。車で6時間。

9月13日(金) 

  母、入院。

  三人部屋。

  10時半から入院手続き、CTとって、痛み止の点滴して、、あとは病院に任せてマンションに戻る。夜は弟とコンビニ飯、適当に。

9月14日(土)

  私はもうクタクタだったので、弟にバトンタッチで午前の便で帰京することにして千歳空港へ向かう。

 お土産買って荷物検査通過して、搭乗口で充電しつつお握り食べていたら、弟から電話。

  母、容態急変。病院に電話したら、危篤に近いというので、検査ゲートから戻り、がんセンターにとんぼ返り。

  想定外に、肺がん本体から突然出血したため呼吸不全を起こしたという。持ち直すこともあるが、今日明日が山という。

  また、帰京できなくなったと会社に一報。

  母、個室に移動。弟と4時間交代で付き添うことに。

  バイタルが次第に低下してゆく。

9月15日(日)

  血中酸素濃度計が90切り、80切り

  やっと呼吸しているが、意識は朦朧に。

  4時29分、母、逝く。

  悲しむ間もなく、死亡診断書、葬儀屋を呼ぶ。

  生前から夫婦で葬儀プランに入っていて、父も葬儀で利用した。既に墓もある。

  斎場から担当者到着、御遺体は斎場へ直行。友引の関係で17日通夜、18日告別式となった。

  故人の意向で、葬儀は息子達だけでやってくれ、ということだったため、家族葬にした。

  浄土真宗西本願寺。

  夕方、お寺さん来て枕経。

  故人の意向で檀家から抜け、スポットでのお寺さん。御布施等の金額を提示。

9月16日(月) 

  湯灌、死化粧。葬儀見積詳細、段取。

  火葬許可証、区役所。

  喪服はレンタルにしたが、靴、ワイシャツ、ベルトを買う。イオンでてきとーに昼飯。

9月17日(火) 

  通夜。

  埼玉から女房到着。北見から弟の嫁さん、宮古島から孫娘夫婦到着。

  家族でやるには十分な広さ

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  家族葬なので職場、嫁達の家族からの香典は辞退。

  斎場のビルにシェフがいて、通夜振舞はコース料理。うまかったな。

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 姪の旦那が通夜酒の相手をしてくれた。

9月18日(水) 

 告別式、火葬場へ。

 札幌は、火葬場での御遺体到着順の受付で予約とか空きの概念がない。順番待ちしつつ、、、

  午後、遺骨で帰宅。実家マンションに仮祭壇つくる。

 9月19日(木)

  午前。女房帰京。

  私と弟は各種手続に区役所へ。年金は支給停止だから電話で済んだ。親父が亡くなった時は年金事務所行って大変だったが。

  老人ホームの私物を回収。家具や冷蔵庫等を持ち込んでいるので、その撤収は後日。

9月20日(金)

  葬儀代を払い、2週間ぶりに帰京。

 

  弟は翌日に北見へ戻ったが、次の土日にまた来て、何でも屋系でホームの撤収を行う予定。

9月21日(土)

9月22日(日)

  帰京翌日、翌々日。

  なにもしない、休息。寝付けないが。

  相続、名義変更など、まだこの先は終わらない。

 母は、しっかり金を残し、斎場の段取もしていたので、息子達は大変ではあったが、困り果てることはなかった。墓もある。

  認知症だったから、がんに気づくのがおそかった。最後の1ヶ月、痛かったようだが、圧迫骨折もあり、なんの痛みか本人も回りもよくわからなかった。

  父が亡くなったのが平成19年。それから独り。最後の5年は老人ホーム。終盤は月20万円ちかくかかっていた。

 孫娘が所帯を持ち、長男も還暦となり、そろそろこっちに来いと、父に呼ばれたかな。

  丸々2週間の、非日常、状況激変の波乱だったが、しばらくは気持ちのリハビリでゆっくりやっていく。

  昔は亡くなると銀行凍結とかはやかったが、今はしばらくは大丈夫。慌てることはない。

  しんどい2週間だった。

  名義変更、相続、納骨の四十九日と続く。

大好きなカレーがまっていた。

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体調悪いのに飛んできてくれた女房に感謝。女房の留守中に猫の面倒をみてくれた茨城のばあちゃんに感謝。

台風の間隙ついて飛んできてくれた宮古島の姪夫婦に感謝。

弟夫婦に感謝。

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