塚越らーめん、「とまとラーメン」と「キャベツ乗せ」 [塚越らーめん]
ばあ様が亡くなってから2週間。
女房の入院騒動も入れて3週間。
普通じゃないバタバタで、急展開だらけだったから、さすがに疲れた。
火曜日、水曜日と出社したが、木曜日は朝から頭も体もどんよりで、右足痛いしだるいしでまた休んでしまった。
無理はしない。
無理して倒れるともともこもないからね。
金曜日は出社しても、マンションの電話解約やら、ばあ様の本籍地に除籍謄本とか原戸籍とかの問い合わせしたり、なんやかんや落ち着かない。
でも、
日常を少しずつ取り戻す。
その一歩に塚越らーめん。
シャッターがこないだの台風で壊れちゃって裏口から店内においでくださいだと。
目当ては「とまとラーメン」
トマト、魚介、チーズたっぷりの
出汁の効いた和イタリアン?なラーメン。
太麺堂々。
女房は普通のラーメンにキャベツのトッピング。
餃子も
ここの焼き餃子うまいから、おすすめです。
10月はタンメン!
脇に小さく味噌ラーメンの張り紙があるんだけど、元々は期間限定にしていたのにどうしても味噌ラーメンが食べたい常連さんがいるらしく、メニューからはずせないんですって。
増税の影響もね。
帰りは南浦和の西野水産
赤貝にマグロ、煮魚はゲンゲ。
戸田のケーキ屋さん、オオハシ
夜は女房からの配給で晩酌。
マンションの名義変更、引き落とし先変更、相続手続き、家族葬だからと遠慮したのに来る親戚からの香典現金書留のお礼電話、香典返しの段取り、戸籍取り寄せ、ばあ様最期の入院費払い、老人ホーム撤収、四十九日段取り、霊園名義変更、未払い年金受領手続き、遺品整理、まだまだ、頭一杯の日々が続く、、、
定年コンプリートまであと一営業日。
母逝く、札幌12泊13日 [札幌、北海道]
穏やかな還暦を迎える予定だったが、
波乱の還暦月となった。
以下、備忘録。
9月2日(月) 早退
突然、女房が急性胃腸炎で入院、早退して病院に駆けつける。
9月3日(火)
女房の入院対応で休む。
埼玉の入院だと入院時に3万円の預け金をとられるのだが、後日に母が入院した札幌は事後精算で入院時はとられなかった。
札幌の老人ホームから電話。入所中の母、腫瘍マーカーが異常値なので近々家族同伴での受診が必要とのこと。週明けの受診予約をとる。この時はまだ事態が急変して行くとはまだ誰も思っていなかった。
9月4日(水)
女房を見舞う。まだ痛そう。すぐ退院しても無理するとまたぶり返すから安静継続に。
9月5日(木)
女房、午後に退院。多分、自宅でおとなしくすれば大丈夫だろう。
9月6日(金)
早退して女房の退院精算等。
9月7日(土)
女房は安静に。母は特にかわりなしで食欲もある。
9月8日(日)
夜に札幌へ前乗りの予定だったが、千葉県等に大被害をもたらした台風15号がヤバイということで、台風直撃前の午後便に早めて羽田から飛ぶ。飛んだあとは欠航してた。
9月9日(月)
母をつれて、北海道がんセンターに。激混み。腫瘍マーカーでは部位確定ができないので、疑いの濃い消化器科で検査。
肺がんとその転移と診断。翌日の呼吸器科受診予約。検査等で5時間。
9月10日(火)
母をつれて、呼吸器科へ。朝飯は完食してたので、まだ急変の兆候は見られず。
肺がん本体は年齢的に治療不可だが、首の転移腫による放射線治療で痛みは改善するとの診断で、13日の入院が決まる。痛み止のモルヒネ点滴。病室の空き事情。
治療方針は1ヶ月の入院治療、その後はホームに戻るか、緩和ケア専門病院に入院するか、だった。年越しは難しいかなと思ったが、医者も私もその後に急変するとは予想していなかった。
これで、当初は(月)(火)の2日有給予定だったのに帰れなくなってしまった。
9月11日(水)
私、還暦の誕生日。老人ホームで入院待ちの母を見舞う。母の食欲は普通。首が痛いのは続いているみたい。
独り、誕生日を過ごすなんて、こんなことは30年ぶりだ。
ここまでは前のブログにかいた。
夜は銀のさらで出前。
9月12日(木)
母はいつも通り。
(月)から私が来ていることも、がんセンターに行ったことも覚えていない。認知症は新しい記憶をメモリーに書き込めない。
昼飯はホームから徒歩圏にある「かつ徳」
夜中に北見から弟が到着。車で6時間。
9月13日(金)
母、入院。
三人部屋。
10時半から入院手続き、CTとって、痛み止の点滴して、、あとは病院に任せてマンションに戻る。夜は弟とコンビニ飯、適当に。
9月14日(土)
私はもうクタクタだったので、弟にバトンタッチで午前の便で帰京することにして千歳空港へ向かう。
お土産買って荷物検査通過して、搭乗口で充電しつつお握り食べていたら、弟から電話。
母、容態急変。病院に電話したら、危篤に近いというので、検査ゲートから戻り、がんセンターにとんぼ返り。
想定外に、肺がん本体から突然出血したため呼吸不全を起こしたという。持ち直すこともあるが、今日明日が山という。
また、帰京できなくなったと会社に一報。
母、個室に移動。弟と4時間交代で付き添うことに。
バイタルが次第に低下してゆく。
9月15日(日)
血中酸素濃度計が90切り、80切り
やっと呼吸しているが、意識は朦朧に。
4時29分、母、逝く。
悲しむ間もなく、死亡診断書、葬儀屋を呼ぶ。
生前から夫婦で葬儀プランに入っていて、父も葬儀で利用した。既に墓もある。
斎場から担当者到着、御遺体は斎場へ直行。友引の関係で17日通夜、18日告別式となった。
故人の意向で、葬儀は息子達だけでやってくれ、ということだったため、家族葬にした。
浄土真宗西本願寺。
夕方、お寺さん来て枕経。
故人の意向で檀家から抜け、スポットでのお寺さん。御布施等の金額を提示。
9月16日(月)
湯灌、死化粧。葬儀見積詳細、段取。
火葬許可証、区役所。
喪服はレンタルにしたが、靴、ワイシャツ、ベルトを買う。イオンでてきとーに昼飯。
9月17日(火)
通夜。
埼玉から女房到着。北見から弟の嫁さん、宮古島から孫娘夫婦到着。
家族でやるには十分な広さ
家族葬なので職場、嫁達の家族からの香典は辞退。
斎場のビルにシェフがいて、通夜振舞はコース料理。うまかったな。
姪の旦那が通夜酒の相手をしてくれた。
9月18日(水)
告別式、火葬場へ。
札幌は、火葬場での御遺体到着順の受付で予約とか空きの概念がない。順番待ちしつつ、、、
午後、遺骨で帰宅。実家マンションに仮祭壇つくる。
9月19日(木)
午前。女房帰京。
私と弟は各種手続に区役所へ。年金は支給停止だから電話で済んだ。親父が亡くなった時は年金事務所行って大変だったが。
老人ホームの私物を回収。家具や冷蔵庫等を持ち込んでいるので、その撤収は後日。
9月20日(金)
葬儀代を払い、2週間ぶりに帰京。
弟は翌日に北見へ戻ったが、次の土日にまた来て、何でも屋系でホームの撤収を行う予定。
9月21日(土)
9月22日(日)
帰京翌日、翌々日。
なにもしない、休息。寝付けないが。
相続、名義変更など、まだこの先は終わらない。
母は、しっかり金を残し、斎場の段取もしていたので、息子達は大変ではあったが、困り果てることはなかった。墓もある。
認知症だったから、がんに気づくのがおそかった。最後の1ヶ月、痛かったようだが、圧迫骨折もあり、なんの痛みか本人も回りもよくわからなかった。
父が亡くなったのが平成19年。それから独り。最後の5年は老人ホーム。終盤は月20万円ちかくかかっていた。
孫娘が所帯を持ち、長男も還暦となり、そろそろこっちに来いと、父に呼ばれたかな。
丸々2週間の、非日常、状況激変の波乱だったが、しばらくは気持ちのリハビリでゆっくりやっていく。
昔は亡くなると銀行凍結とかはやかったが、今はしばらくは大丈夫。慌てることはない。
しんどい2週間だった。
名義変更、相続、納骨の四十九日と続く。
大好きなカレーがまっていた。
体調悪いのに飛んできてくれた女房に感謝。女房の留守中に猫の面倒をみてくれた茨城のばあちゃんに感謝。
台風の間隙ついて飛んできてくれた宮古島の姪夫婦に感謝。
弟夫婦に感謝。
還暦なう [猫とつぶやき]
9月11日、
おっさんはついに還暦。
札幌で独り。
女房と二人で美味しいもの食べる予定だったんだけどね、ばあ様緊急事態だからしょうがない。
女房のいない独りの誕生日なんて、結婚する前も含めて30年ぶりか。
人生いろいろあるさな。
9月末に定年。
この御時世で定年まで終身雇用というのも、うちら世代で終わりかな。
年金は65才からなんで、
企業側は再雇用する法的義務がある、労働者としては権利なわけで、一応、権利行使する。
1年前から企業側も再雇用希望の意思をこちらに提示、こちらも他所への再就職活動はしていないので条件酷くなければいいですよ、という状況だった。
大企業でも再雇用ではかなり条件下がり、3割5割減とかもよく聞くのだが、そんなに悪い条件でもないので、しばらくらいようかなということで。
グループ会社時代はIT系執行役員や人事部長もやったが、そこから今のところに吸収されたので、まあ、外様部長で今度は嘱託だけどね。スペシャリスト扱いなんで最近は気楽に得意分野をサクサクとやっております。
経営、事業戦略には口出さないからストレスはないしな。土台造りは相当やったから、しばらくは大丈夫でしょ。
若い頃、定年社員見たら爺さんだよなあと思ったもんだが、その爺さんクラスなわけだ。
あのおっさん、嘱託で残るってよ、あのおっさんのやってることまわってきたらヤベーからとりあえずいてもらってたすかるわ、ならいいやね。
でも、通勤がね、家買ったころと比べると体力ないからキツイしな。ばあ様緊急事態もあるから、いつまで続くかな~、在宅にしてくんないかなあ~、在宅探すかな~と、多少はグダグダ言ってる。
年金もヤバイしね。今の政治続くとほんとやばいわ。
いろいろ物書き系は、指が動き、頭回れば70才位まではできるからね。自力で年金補填は大丈夫なんだが、いつ倒れても不思議はないからね、無理しない無理しない、有給完全消化で、通勤は緑で、土日はたまに温泉行って、行かないときはだらだらして、マイペースな人生を引き延ばしていこう。
でも、まずは、ばあ様対策。
11日朝
お赤飯、北海道仕様、食紅の金時豆(笑)
昼
ホームの近場はここしかなくてね
焦がし味噌ラーメン
味噌、かなりしょっぱい。麺やはや硬めでまあまあ美味しい。
女房からは誕生日にと、前渡しでこれいただきました。あと、いろいろ。
(*- -)(*_ _)ペコリ
とりあえず、ばあ様対策。
で、温泉予定決めないとな。
今年の酒生活
今年のラーメン、中華生活
一人っ子になった末っ子
女房と、まーくんと、仲良くやってこう。
独り誕生日の晩飯、とうすっかな~。
出前でもとるか。
ばあ様、入院に、一週間札幌滞在 [猫とつぶやき]
札幌入り、翌日、快晴。
ばあ様をつれてがんセンターに
予約はホームの看護師さんがしてくれて、
ホームの車椅子のまま運べる車で送迎。
ただし、そこから先は病人のばあ様と私だけだから
普段、車椅子押さないから、けっこうしんどい。
マーカーからまず消化器系とみて消化器科診察だったが、
診断は肺がん、転移各所。
で、呼吸器科へ
さらに放射線治療可能かどうか、放射線科へ。
首の転移で首に激痛、老人には耐えられない痛み。
2日目、火曜日
放射線治療の作戦詳細と防護マスク作成のためにまたCT。
痛み和らげるのに点滴してもだめ
モルヒネ点滴までやった。
しかし背骨も圧迫骨折などあり、首激痛で姿勢とれず、放射線治療は無理かもしれない。
初日は、朝、パン一個で病室終わるまで飲まず食わずだったが、2日目は、ばあ様点滴中に院内カフェで
チーズバーガーセットを秒殺食いした。
うまかったな。たぶん。500円。
ばあ様の入院は13日に。
ベッド空きまちで。
これで帰京出来なくなった。
東京もどって次の日また札幌なんて無理だし、ばあ様容態悪化なら家族いないとだめだしね。
丸一週間有給。
放射線治療できれば痛みはひとまず改善するが、まだ、あちこち転移物が悪さし始めるだろうから、いずれは緩和ケア専門病院かな。
抗がん剤やるならがんの確定診断と検査が必要だが、高齢の進行がんでは抗がん剤も無理だから、あえて確定診断検査はしない。
女房からプレゼントされた小銭入れ。
わかる人にはわかるアレ。
タクシー乗り回しに便利だった。ありがとう。
飲まずには寝られないから、ジャックダニエル。これもファミマ。
女房入院だし、ばあ様具合悪いし、台風だし(汗) [猫とつぶやき]
女房が突然入院。
感染性胃腸炎。
先週月曜日に、急に来たみたい。
末っ子猫のちーたんが他界してだいぶ参ってたからな、
体力落ちてたとこで胃腸に来たみたいだ。
O157みたいなのではないし、土日は私も同じものたべてるけど問題ないし。
まあなんかのウイルスってことだ。
脂汗かいてタクシーで病院駆け込み、
CTやら超音波などやり、
血液検査では白血球が異常値だし、
点滴、安静で数値下げるのに入院がよいとなり三泊四日。
天が、あんた少し休みな、ということだったんじゃないかな。頑張り屋さんだからなあ。
私は月曜日に早退、火曜日に有給、金曜日に早退。
女房が第一優先だからね、いつもそうしてきた。
女房が入院騒ぎの中、
札幌の老人ホームから電話。
入居中のばあ様、食欲が急に細り、あちこち痛いというので検査したら、マーカーが異常値。
高齢なんで今後の治療方針ご相談とのことで女房退院後に札幌へ飛ぶことに。
女房が退院できてよかったよ。
女房の入院中におでんつくったんだが、見た目は普通なんだけど、味、失敗した。
元々は今週水曜日が誕生日だったので有給の予定だったのだが、札幌問題により取り止めて、月曜日と火曜日を有給に。
札幌には日曜日の夜に前乗りすりゃいいかと思ってたら、なになに大型台風接近で日曜の夜は飛ばないかも、となったから慌てて午後便に変更。
これだもんねえ、夜便はみな、欠航、
ギリギリセーフで札幌入り。
慌ただしい日々なう。
とりあえず國稀で明日に備える。
飛ぶのに腹が緩いといかんので、朝食べたきり昼抜きだったんで、夜食は豚丼。
といってもファミマだけどね。國稀もファミマ。
日曜日夜記